「いたたたたっ」
体に痛みを覚えながら、光の射す方を見ると真っ青な空が広がっていた。
土がそれを丸く切り取っている。
「俺、もしかして穴に落ちたのか?」
その穴をひとりの子供が覗き込んできた。
「あれ?獲物を捕まえるために仕掛けた穴に落ちないでよ、お兄さん」
子供が穴の上から声を投げかける。
「おーい、助けてくれ」
慎一はわけがわからないまま叫んだ。
一体ここはどこなんだ…。
「変なカッコしてるね、お兄さん」
と微笑みかけてくるのは十くらいの少年。
髪と瞳の色は琥珀。
簡単に縫い合わせた布を身にまとっている。
原始的な服だ。
矢を数本入った筒を背負っており、右手には自分の身長ほどの大きな木の弓を持っていた。
「変なカッコと言っても、学校の制服だから仕方がないよ」
僕は都内の私立高校の一年生。
いつもと同じ時間に起きて、いつもと同じ時間に家を出た。
いつもと同じところで友人の相田陽介と会い学校に向かい、だいたい同じところで神崎麻衣に、おはよ、と声をかけた。
いつもは優しいその笑顔で、おはよ、と返してくれるんだけど、今日は少し違ってて、何か考えごとをしていたのか、上の空で、おはよ、と返したままどこかへ行ってしまった。
席に座ってホームルームが始まって、そこくらいまでは覚えてるんだけど。
気が付いたら全然知らないところにいるんだけど。
大きな河があって水が透き通っている。
遠浅で岸辺では若い男女が遊んでいたり。
河岸からはすぐ山があり、大きな木や草が生い茂っている。
日差しが強くて暖かい。
いや、暑いくらいだ。
あれ?今は十二月だったような…。
「そんな服着てて、暑くない?」
「暑いよ」
「っていうか着る前に分からない?暑くて、とてもじゃないけど耐えれないってこと。そんなに着込んじゃって」
僕は学生服とトレーナーとカッターシャツを脱いでシャツ一枚になった。
ズボンの裾も膝あたりまでまくり上げた。
「僕は藤原慎一。君の名はなんて言うの?」
僕は言った。
「僕の名前?」
少年は答える。
「僕の名前はクピド。弓矢で人の心を射止めるのが得意かな」
「はぁ?」
「もし気になる人がいるなら、その子に僕の矢で振り向かせてあげるよ」
「そんなことなんかできるものか」
といいつつ神崎のことを思い浮かべてみる。
「できるさ。ちょうどいいのが来た。あの綺麗な若者とそこで遊んでいる女の子を恋仲にしてみようか」
そう言ってクピドは空を見上げた。
慎一も見上げてみる。広い青空を一台の馬車が飛んでいた。
その馬車は落ちるような速さで降りてきて、慎一の近くで着地した。二頭の馬を御していた若者は端正な顔立ちをした青年だった。
「しかし、雲がない空を駆けると喉が渇くな」
若者が河の水に両手を差し込もうとした瞬間。
水面に映った、矢を放たんとしているクピドの姿に気がついた。
クピドは慌てて矢を放つが若者はすんでのところでみをかわした。
「なんだ、貴様ら!この俺を太陽の神だと知っての狼藉か」
「そんなことありませんよ、アポロ様。ちょっとした遊びです。気になさらないでください」
クピドは少し笑って胸に手を当てお辞儀をしてみせる。
「遊びでもやっていいことと悪いことがある。お前は少し痛い目にあった方がいいみたいだな」
金色の髪に金色の瞳。肌は白くて背が高かった。
しかし太陽の神アポロって…。
ゲームの世界にでも迷い込んじゃったのかな…。
「僕の矢は肉体を傷つけたりしませんよ」
「それじゃ、何のために矢を放つ?」
「僕の矢は心に干渉する魔法の矢。アポロ様の心も例外ではありません」
その時アポロの拳がクピドの頬を打った。
「クピドっ!」
慎一はクピドに駆け寄り大丈夫か、と声をかけた。
「あんた、大の大人が子供にこんなことして、恥ずかしくないのか」
「教育だよ、教育。それに見かけほど、そいつは若いわけではない」
「えっ…?」
「まあ、お前には無用の長物だ。そんな大きな弓など使いこなせるわけがない」
「お言葉ですがアポロ様。僕の矢は百発百中です。狙った心を外したことはありません」
そのとき、アポロがかわした矢は空中で方向を変え、アポロの心の臓を貫いた。
「ぐわっ」
アポロは突然淡い赤い優しい光に包まれた。
クピドは立ち上がり、もう一度矢を構えた。
「恋の成就させる力を君に見せてあげたかったけど、あいつを見て気が変わった。あいつに、決して叶わない恋の苦しさをあじあわせてやる」
クピドは矢を、水遊びをしている一人の少女に向けて放った。
矢は少女の心臓を貫き、少女は暗く青い光に包まれる。
やがてアポロと少女を包んでいた光は消え二人は我に返り、お互いを見つめ合う。
「ああ、なんて美しい人なんだ。もしかして僕は君に恋してしまったかもしれない」
アポロは馬車もクピドもほったらかしのまま、少女に近づいていった。
「あなたは誰?気安く私に話しかけないで。近づいてこないで」
「そんなつれないことを言わないで。私は君しか見えていないのに」
「きゃー、助けてぇ!私はひとりがいいの。男なんていらないの。誰か、この襲ってくるこの人をどうにかして」
少女はお化けでも見るような表情で逃げるように駆け出した。
「なぜ、私を見て逃げるんだい?なぜ、私の気持ちを受け止めてくれないんだい?狂おしいほど愛しいのに」
金色の髪をたなびかせながら、欲しいものが手に入らないもどかしさを顔に出しながら、アポロは少女を追いかけていった。
「いい気味だな。僕の矢の力が効いている限り、アポロは彼女を恋い焦がれ、彼女はアポロを忌み嫌うだろう」
突然、クピドの背中から大きな翼が現れた。白い光を放ちながら、羽ばたき、クピドの体は空に舞い上がった。
「えっ?空を飛べるの?っていうかこんなところでひとりにしないでくれ!」
慎一は慌ててクピドの足をつかんだ。
「ちょっと、へんなところをつかまないでよ。バランスが崩れるじゃないか」
「バランスが崩れる、じゃないだろ。こっちはこの世界のこと何にも知らないんだ。そんな人間を置いてけぼりにするなっつーの」
「もう、世話が焼けるね」
クピドは両手を差し伸べた。慎一はそれに両手でぶら下がった。
「っていうかどこから来たの?どこまで送ってあげればいい?」
「東京だよ、東京。日本って国の首都だよ。知ってるだろ?」
「あなたが望むなら、私はずっとそばにいて、あなたを抱きしめてあげよう。だから逃げないでおくれ。私を嫌わないでおくれ」
「知らないよ、そんなとこ。もっとわかりやすく説明してくれる?」
「助けて。助けて。父さん、河の神である父さん、できるなら地を裂いて私を隠して。あるいはこの姿を変えてください。こんな姿をしているから、私はこんな目をみているのですもの」
すると、河の水が吹き上がり、少女を包み込んでいく。
と、少女はその姿を変えていった。
肌は樹皮に包まれ、腕は枝となり、髪は葉となって一本の木となった。
「なんということを!」
アポロはそれを見て怒り、そして悲しみがこみ上げてきた。
「なぜこんなことになるのかわからないよ。この想いは本当のもので嘘じゃない。でも、こうなってしまってはどうしようもなくなってしまった。最後に、あなたが不幸な目に合わないために、私の力を与えよう」
そう言って、アポロは軽くその木に口づけをした。頬を涙で濡らしながら。
「おい、慎一、何寝てんだよ。早く学食行かないと授業が始まっちまうぞ」
「えっ…」
と慎一が気がついたところは教室の中だった。
「あれ、もうお昼?陽介、授業はどうしたんだ?」
「バカか、お前。ずーっと寝てたんだろうが。しかしよく寝るよな。神崎も笑ってたぞ」
「えっ、そうなの?」
ふっと窓際の方を見ると前の方の席で他の女子と一緒に弁当を食べている神崎がいた。
慎一の視線に気づくと、こっちに向かって微笑み、そしてまた女どうしの会話に戻った。
「昼飯食わないなら俺は行くぞ。じゃあな」
「お、おい、ちょっと待てよ」
先に行く陽介を追いかけるように席を立った。
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